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第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻

                                       ***平成26年5月28日(水))***


   「名の有る庭園などに行った場合に俳句が出来憎い。といふのは矢張りこの季題になるものが少ないといふことに原因すると思ふ。 名園になると春夏秋冬四季の変遷の影響が少ないやうに作られて居る。    さういふ場所に臨んで季題を捜すことは容易でない。」と、虚子は別な探勝地での記録の中でこう記している。

   また昭和十三年五月一日に「小石川後楽園」を訪ねた『武蔵野探勝』の一員安田蚊杖も、 「実際一木一草もゆるがせにしないといったやうな庭園に立たされて俳句を作れといはれても誰しも一寸辟易する。    そんなことは承知してはゐるものの、兎に角東京としては名にし負ふ名園なのでかうすることになったのである。」 と如何にもこんなことを言っていた。


   今回我らはその「名園観」の足跡を辿って、「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という水戸光圀の大いなる志にも共感しつつ、都心の「小石川後楽園」を訪ね、容易ならざる俳句作りに挑戦することにしたのだ。
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   今週は全国的に暑くなるような予報が出ているものの、今日はそれ程でもなく少し暖かさを覚える程度の陽気になっている。 丁度良い程度の雲が日を少し遮っている所為かも知れない。 
   今朝も家の裏山では近頃大いに繁殖しているらしい画眉鳥が出掛けにけたたましく囀っていた。 この囀りを単なる騒音としか捕えない人も居れば、こよなく愛でる人も居るらしい。  と云うのはそれぞれの文化の違いなのであって、どうしようもない事なのであろう。


   
          春闌暑しといふは勿体なし     虚子
          かりそめの扇づかひも夏めきぬ  莉花女

   さて、『・・探勝』の彼らが訪れた時は開園からひと月も経っていない処女地だったと云うことであるが、もともと江戸初期に水戸徳川家の上屋敷として作られていたものが、明治維新後からは陸軍の兵器等を製造する工場として『・・探勝』直前の頃に移転するまでずっと操業していた東京砲兵工廠の中に含まれていた処と云う。   
   庭園周辺跡地には『・・探勝』のころ既に後楽園球場、講道館などが建ちならびはじめていたらしい。  当時、蚊杖は「やがては(周辺も)建物で埋まって後楽園もそれ等のかげになることであらふ」 と予言していたが、今は全くその通りの様相を呈しているもののそれは都心全体の移ろいに従った様変わりであることであって、もう歴史に踵を返すことはできないものだ。

           殿様のお屋敷跡の目高かな    みね子
           春服の人に上着を脱げる人    虚子


   我らはその正門前に10時集合と伝えてあったものの、定刻に集合した者は僅か3名。 ただそれも諾うことであって、今回の吟行は庭園内に限られているので、必ずしも定刻に間に合わなくとも「自由吟行で問題ない」旨を但し書きしてあったからだ。    今回点呼を取らなかった事での失敗は、句会開始直前まで来ていないことが分らなくて、急遽の電話連絡で(住まいが此処に最も近くの)洋二くんをすっかり慌てさせてしまったことだ。   聞けば今日の吟行日を1日取り違えていたらしく、幸いにも句会開始までには駆けつけ間に合うことが出来た。   これからはこんな事もまだまだいろいろ出てくるに違いない我らなので、僕を含めてそれぞれ少しは気を引き締めていかなければ、とも思う。

   さっき正門で待っている時、ぞろぞろ小学生が入っていくので「何だろう」と訝っていたのだが、奥の稲田でこれから「田植え」をやるんだそうだ。  毎年一回づつ地元の小学生が5月の「田植え」と9月の「稲刈り」をやっていて、ちょうど今日がその日に当たるとの事。
   早速大泉水をぐるっと廻って真っ先にそこに向う。

           大池の半は干潟や椎落葉     みづほ
           松林ありて田もあり園遅日     未曾二
           幹に凭れば幹軽くこたへ若楓   風生
           この園にして薫風の快し      花蓑
           初夏の橋渡れば池の水浅く    笑而才
           夏蝶の春の蝶よりたけだけし   蚊杖

              池の底まで届きたる新樹光      玖美子
              さざなみや青葉をのぼる水かげろふ かしこ
              翡翠を待つ写真など見せ合つて    洋二
              万緑の奥なる水のけはひかな     銘子
              万緑に立つ万緑に濡るるかに     玲子
              白き蝶翅に新樹の色のせて      伸子


   菖蒲田の一角にあって、「光圀が造らせた」との説明書きが建っている小さな稲田だが、既に子供たちが素足で早苗を植え始めているところだ。   その脇に佇んで暫くその様子を眺めているうちに、三々五々今日の参加者も集まって来ている様子が見える。第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻_e0292078_2114327.jpg

   本物の水田でも田植えの場にはめったに居合わせる事のない我らなので、暫くはこの絶好の季語の場に在って句を作ろう、と余念の無い時を過ごすことにした。第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻_e0292078_21153866.jpg

 柳町小学校の田植唄          正子
 二列目の早苗はぴんと植ゑられて  千惠子
 順繰りに泥まみれなり田植の子     洋
 田一枚にぎやかに植ゑ小学生    信子
 さはさはと植ゑてもらふを待つ早苗  玲子
 全身で水を分け入る子の田植     千惠子
 

 泥跳ねて子ら跳ねてゐる田植かな  伸子
 あっち向くこち向く苗や田植の子    洋
 子供らの来て水戸様の田を植うる   玖美子
 田植の子泥足抜くとき大騒ぎ      ちあき
 片足のなかなか抜けぬ田植かな    ミツ子
 子ら植ゑしのちの田水の濁りかな   洋
 十人のへつぴり腰の田を植うる     千惠子


    稲田に続く菖蒲田には、ちょうど咲き初めの頃の花が人を惹きつけている。 特に写生画の人達が集まって、スケッチブックを開いているのが印象的な場所である。  菖蒲の花は適当な大きさであることに加え、その形の複雑さや色の複雑さなどが絵の勉強に最適なのかも知れない。
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    菖蒲田の近くに座って、また暫くその花を俳句の切り口から写生しようかと思うが、その如何にも整った形・色からはなかなか句は浮かばない。  暫く居続けていたものの、蚊杖と同様に多少辟易してくるような感じになってきたので、僕は早々とここで弁当を広げて落着くことにした。

              スケッチの合間に菖蒲ひらきゆく   信子
              花菖蒲水のゆらぎに日のゆらぐ    銘子

   と、先ほどからその付近を徘徊する姿が見え隠れしていた軽鳧の親子の一団が待っていたかのように、そのお零れをねだりにほんの足元まで近寄ってきた。   たとえ定住の場がなくても、食糧豊富な東京のど真ん中に居れば徘徊しながらでも何とか食べていける人間も居るように、ここの軽鳧の親子もそんな極楽に棲みついている気分を味わっているのかも知れない。   などと余計なことを思いながらも、その可愛い姿におもわず何回もお裾分けをしてあげてしまうのだった。第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻_e0292078_21215612.jpg

   軽鳧の子のすこしおとなの羽根の色  正子
   軽鳧の子の羽ふはふはとまだ飛ばぬ かしこ
   わらわらと畔乗りこえて軽鳧の子よ  ミツ子
   軽鳧の子の見え隠れして畔の端     洋
   鴨の子の四羽潜つたりもして      慶信第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻_e0292078_2122398.jpg


    ここの公園内は確かに静かなのんびりした雰囲気の味わえる名園だと思えるが、それでも偶にジェット機が飛び去る時の轟音のようなものが聞こえてくる事がある。  ふと空を見上げると、向うの茂みの上に後楽園遊園地名物の「ジェットコースター」頂上が垣間見えていて、ときどき急降下してくるその音が響いてくるのだった。 これもこの周辺の移ろいの一つなのであろう。

    いま正にこの公園は数年を掛けた大改修の最中にあるとの事で、大泉水の何カ所かも含めて園内所どころ工事をやっている場所があったが、一番奥にある「内定(うちにわ)」の池は、既に改修の終わった地域のようなので其処へ向かってみる。
    短い木下闇の径から唐門跡を抜けるとその先に、大泉水と比べるとだいぶ小さな池が水を湛えている。  水面に睡蓮のような水草が、いくつか白っぽい花を付けているのが見える。  未草というのだそうだ。 ちょうどお昼時の今頃が花の盛りの時間で、また夕刻には凋んで明日に備えるらしい。
この周辺のベンチには我ら何人か腰を掛けてその未草などをじっと見つめている。第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻_e0292078_21253278.jpg
    「そろそろ句会の時間が迫ってますよ」 と声を掛けるものの皆なかなか動こうとはしない様子であった。

   睡蓮の白き風くる昼餉かな      信子
   睡蓮の昼の水より起ち上がる    正子
   睡蓮の池の静けさ巡りけり      玖美子
   睡蓮の白ばかりなり囲まるる     洋
   退屈な昼を真白き未草        銘子
   子をあやすやうに揺れあひ未草   正子

    ここから更に南に歩いて行くと、「木曽川」「寝覚滝」だとか「龍田川」だとか、日本の名所を摸した 箱庭のような流れのある心地よい場所が続いていて、やや歩き疲れた脚をリラックスさせてくれた。第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻_e0292078_21265544.jpg

  名園に竜田川あり若楓      一艸
  滴りを滝と名づくる面白し     桜坡子
  何もなき西行堂や春惜しむ    黙禅

    方丈の石のみ西行堂涼し      慶信
    夏木立瀬音を耳に抜けにけり    ちあき
    草むらに尾のをさまらぬ蜥蜴かな  正子
    噎せ返る男の中の祭髪        洋二

     
     今日の我らの句会場も『・・探勝』当時と同じ、園内の「涵徳亭」。   当時は江戸風のビードロ茶屋の趣がまだ残っていたらしく、めぐらしたビードロ硝子を透して居ながらに泉水や築山が見られたそうだが、今日の部屋「別間」も亭の一番西側奥にあって、ガラス戸を透しての「大堰川」の「渡月橋」や「西湖の堤」などが眺められる雰囲気のある場所であった。

                                              第二十四回、   完第二十四回「名園観」(虚子編第九十三回)の巻_e0292078_21275192.jpg
# by Tanshotadoru | 2014-05-31 20:50

第二十三回「依水荘」(虚子編第二十一回)の巻

                                      ***平成26年4月23日(水))***



    中国との政治的関係が今よりももう少し良かった頃だったから、もう15年以上前のことだと思う。 誰だったか名前は忘れたけれども、確かナンバー2か3くらいの要人政治家が来日したとき、カメラの前でにこやかに筆を持って鮮やかに漢詩を揮豪していたのを思い出す。   中国は正にこれから大発展を遂げていこうかとの直前の時代であって、当時はまだまだ日本にも見習うべきところは見習っていこうか、と云うような何かしら謙虚な雰囲気をもその揮豪された五言絶句の後半部からも感じられたのだった。

    千里の目を窮(きわ)めんと欲して、          欲窮千里目 
    更に上る 一層の楼。                   更上一層楼

    あとで知ったことであるが、この詩は科挙試験にも及第しなかった王之渙の有名な「登鸛鵲楼(かんじゃくろうに登る)」の一節だったようだ。

    なんで今回、この漢詩のことを思い出したかというと、この詩はその前半に、

    白日 山に依って尽き、                 白日依山盡
    黄河 海に入って流る。                 黄河入海流

と詠っている。

    そう、『武蔵野探勝』で今回『依水荘』の巻を辿ることにした時、僕は最初「依水」とは何のことだろうか、と訝しげに感じてしまったのだが、この漢詩中の「白日依山盡=日が山並に寄り添うようにしずしずと沈んで行き・・・」から、なるほどそう云うような上野原周辺の水辺雰囲気から「依水」と名付けられたのではなかろうか、と訪れた事もないのに妙に納得することも出来ていたのだった。

    昭和七年四月三日の『・・探勝』「依水荘の巻」執筆者・高野素十が記している通り、そのころ彼らが乗った中央本線は 「新宿と甲州との間を一日に何遍となく往復してをる」 らしかったけれども、最近は特急だけは都心から出ているものの、西へ行く各駅停車はその殆どが中央線快速電車の終着駅・高尾(当時は浅川駅)が始発となっている。
    今回我らはその高尾駅に集合して、10時少し前の始発で上野原に向かうことにしたのだった。


   出掛けは前夜の小雨が道を濡らしていて雲も少しあり、途中遠くに見える峰々にはまだ霞が掛っているようにも見えたけれど、往くほどに天気も良くなってきて、久し振りの清々しい朝。 しかも日中は暖かになりそうだ、との予報である。  

   僕の場合は横浜線・八王子乗り換えで高尾に向かうのだが、そのホームで下り電車を待っていると、すぐ前の引き込み線に赤い車体に「Hybrid 」と白い大きな字が斜めに書かれた異様な機関車が停まっている。

   今迄見た事もない形式番号HD300-8と書いてある珍しい機関車なので暫くそれに見とれていたら、ふいに「お早うございます」と、たまたま同じコースで高尾駅に向かおうとしていた正子さんに声を掛けられてしまった。   都心への通勤に向う洒落た姿の行き交う若い人たちを物珍しげにきょろきょろ窺っている処でなくて良かった、とほっと胸を撫で下ろしたのだった。

   (後で調べたら、この機関車はデイーゼルと蓄電池の両方を備え、流行の排出ガス(CO2)削減の仕様    で開発し、ほんの1~2年前から出現している新型の構内入替え用ハイブリッド機関車なんだそうだ)


   待合せの高尾駅下りホームに着き、暫くすると甲府方面からの空色の折り返し電車がやってきたので我ら三々五々乗り込んでいく。
   少し早めに着いたらしい慶信くんだけはひと電車先に出発したようで、「上野原駅で待っている」との連絡だ。

   高尾駅を出ると、芽吹きから新緑へ変わっていく気配の高尾の山あいを暫く走って、やがて長い小仏トンネルを抜け左手に相模湖が見渡せる相模湖駅に着く。  『・・探勝』当時は与瀬駅であり、相模川は戦後出来たダムによってまだ堰止められてはいなかった筈なので、その辺りも相模川上流の流れとして渓谷が美しかった所だったのであろうか?
 
   相模湖と云う名前を聞くと、僕なんかにとっては夢多き小学生時代に起こった痛ましい「遊覧船沈没遭難事件」が、つい一週間前に起こった「韓国フェリー転覆沈没事故」での多数の高校生水死事故と重ね合わせて今でも思い出される。   遠足途中の多数の名門校中学生が水死したのだけれども、当時の遊覧船事故が今回と全く同じような原因で、直前の展望デッキなどの増設・改造、更には定員の3倍以上の中学生らを乗船させたことにあった、と云うことだったが何とも言いようのない思いがする。  

   「与瀬駅を過ぎて、次は上野原駅といふことになってをる」と素十は記しているが、今はそうはなってをらない!  
   我らの電車は、相模湖駅の次には藤野駅と云う傾斜地にある小さな駅に停車。 そこを過ぎてやがてその次に上野原駅に着いた。 
   どうも藤野駅は『・・探勝』当時よりずっとあとに出来た駅らしい。


   上野原駅も背後の山が桂川に迫る傾斜地の途中にあって、改札を出ると直ぐ急な長い階段を暫く下らなければならなかった。
   「これは帰りが大変だね!」と早くも帰りの心配をする者がいる。   ここの市街はずっと山の手の方にあるらしく、駅前には商店街のようなものが見当たらない。

   『・・探勝』当時、女達はここから「依水荘」に自動車で向かったとあるが、慶信くんと合流した健脚の我ら全員ここから歩いて「依水荘」方面に向かうことにする。

   線路脇の傾斜地には狭い畑なども作られていて、その中にはちょうど良い大きさの美味しそうな芽が出ている楤の木なども何本か植えられている。   そこに近づこうとしたら、盗難防止用と思われるセンサーが働いたとみえ、近くのスピーカーが自動的に鳴り始めたのには驚いた。

   その間を紋白蝶なども翔び交っているが、「この土地の蝶は二倍位はあった」と素十は記しているものの、今日の蝶は普通のもののようだ。 いやむしろ普通より少し小さめにも見える。 
   確か蝶の幼虫の食性は選り好みがかなり激しく、種類によってある限られた植物の葉っぱしか食べないと聞いているので、もしかしたら最近この付近も青虫の好きな植物が少なくなってきているのかも。
   『・・探勝』当時とは違って最近は飽食になってきている人間界とは裏腹に、育ち盛りの蝶の子供にとってはこの辺りもかなり厳しい栄養環境になりつつあるのかも知れない。


   暫くして桂川の河原に出たので、そこを遡っていく。 堤防の斜面に藤蔓が這わせてあって花を咲かせているが、房が垂れている訳でもなく堤に寝ているように這って咲いているので何となく趣がないような感じだ。

   この辺りは既に山梨県の領域なので、下流の馬入川から名を変えた相模川は更に桂川と名を変えているが、この辺り未だ相模湖との関わり合いで川幅も少し広めなので流れもかなり緩やかである。  
   川向うには多少の崖が連なっているのも見えるが、昔はその辺りも急流がえぐっていたのかも知れない。

        相模川桂川となり春の山         青邨
        春風のやゝ強ければ波立ちぬ      虚子
        春水の岩をめぐりて波立ちぬ       虚子

   その川向うの辺りから、小綬鶏が甲高い鳴き声で呼んでいる。

   「笹鳴きの頃の鶯が一番美味い」と中田みづほが言っていたそうだが、小綬鶏の場合は輸入されたものが脱走・繁殖し狩猟の対象とされていたらしい大柄な鳥なので、脂の乗る時期には鶯よりもっと美味なのではないだろうか。   ただし共に味わったことがないので少し残念に思うのだが。

   更に遡っていくと、その先の遠くやや小高い茂みの中からそこだけ鮮やかな緑の屋根を持った白っぽい壁の四角い洋風の建物がさっきから見えて来ているが、これが目的の「依水荘」らしい。
第二十三回「依水荘」(虚子編第二十一回)の巻_e0292078_22214191.jpg
  
  
   その手前辺りで右手の方からもう一つの川が合流してくるが、これが「・・探勝」にもある鶴川らしい。
   近づいていくに連れてその合流点辺りが波立っていて、まるで瀬のような流れに見えてきた。   更にその川岸まで来てみると、それは鶴川の流れそのものではなく、その対岸にある小さな発電所の排水が勢い良く流れ出ているのだ。   排水口の上には古い小さい小屋のような建物が建っていて、その壁には「東京電力松留発電所」と書かれている。 これも「・・探勝」にも記載されている当時からの水力発電所なのであろう。   誠にちっちゃい古い発電所であるものの、現代にあっても(もしかしたら昨今の電力逼迫の状況なるが故に?)フルに発電機を廻しているみたいだが、どれだけの需要が賄えているのだろうか? と思えるほど小さな発電所であった。 

         てふてふの一気に降りる発電所     慶信第二十三回「依水荘」(虚子編第二十一回)の巻_e0292078_22245185.jpg

   鶴川を渡り対岸のその発電所脇を通り抜けると緩い坂道に差しかかった。   「依水荘」への道が良く分らない所で運よくバギーの幼児連れの若夫婦に出会い道を聞けばもう直ぐらしい。
   角を左に曲がりまた暫くだらだらと登って行く。 両脇は里の雰囲気が残っているような所で、畑にはニンニクが大きく育っている。 すると間もなく寺に突き当たった。  これが当時の観音堂とある「依水荘」真下の悉聖寺のようだ。



         野いばらの花隠れ里観音堂       慶信
         残花の町より爛漫の隠れ里       かしこ
         余韻に形あらばたんぽぽの絮     千惠子
         さへずりの耳朶をくすぐることなども   洋
         集落に寺ひとつづつ松の花       正子
         鶯の初音ここより甲斐の国        ミツ子

   素十が「その観音堂の前の大きな銀杏の梢が丁度この(依水荘の)窓の高さだ」と言っているが、確かに素十が見たそのものかも知れない背の高い銀杏の樹が二本山門代わりにあって、庭では幼稚園児らしい十数名が遊び廻っている。   悉聖寺は戦国時代の尼さんが、討ち死にした弟武将の菩提を弔うために建てたといわれる古い寺らしいが、今は廃寺となっている。  その直ぐ上にはさっきからの緑屋根の洋館が間近に見える。

         山門として大銀杏芽吹きけり       正子
         もの憂くも人恋うてをる四月かな     洋二
 
    

    我らは観音堂と思しき建物の裏手の細い道を更に二十メートルばかり登って「依水荘」の玄関脇に到ることができた。

    「依水荘」とは虚子らが訪れた前年に風光明媚な崖上に建てられた赤屋根・洋風ホテルであったそうで、特に晩年の与謝野晶子も長期療養に訪れている処なのだそうだ。

         ほととぎす甲斐の桂の川上の黒漆の山立ち並ぶもと      晶子
         尼と云ふものより少しさびしけれみ寺にとなる水荘の人     晶子第二十三回「依水荘」(虚子編第二十一回)の巻_e0292078_22242075.jpg
                        

    



   当時の面影、そして「依水荘」の名も残っているように思えるけれど、現在は何処かの会社の社員寮となっているらしく、よそ様の敷地内を余り長時間うろつく事は許されないので、我らはそそくさとまた悉聖寺まで来た道を下りることにした。

 


    依水荘下りれば春の水ほとり     虚子
    鶯の淵に臨みてホテルかな      花蓑


   丁度11時半ころであったと思う。
   帰りをまた同じ道なりに川に沿って下っていくと、さっきの合流点辺りの河原に1台の大型タンクローリーの様な車が停まっており、数人の男たちが何やら川へ向かって作業を始めている。第二十三回「依水荘」(虚子編第二十一回)の巻_e0292078_22262652.jpg
    我ら皆近づいてそれ等の方々に「何をやっておられるのですか?」と聞いてみると、何と「今年の鮎の放流」を行い始める処なんだそうだ。  我ら滅多に居合わせることも出来ない偶然の機会であった。
  
   琵琶湖産だそうで、数センチに育った大きなタンク一杯の数万匹の鮎の稚魚を、タンク車から十数メートルほど離れた川面まで、径十センチ程の透明なビニールホースを使って次々と流し落していく。   中にはそこを逆に遡ろうとするのもいて、ところどころ群が詰まってしまってるような箇所もある。
    一匹一匹は見えないけど、黒々とした塊がどんどん流れ落ちてきてそれなりに壮観なものだったが、川に入っても稚鮎は川岸近くを暫くは群をなして泳いでいる。   我ら川面に手を入れてその稚鮎を手に掬ったり撫でたりしている者もいる。第二十三回「依水荘」(虚子編第二十一回)の巻_e0292078_22272329.jpg
  
   













 


  

  この稚鮎の放流も、今回の偶然の句材であった。

        放たれて川瀬を染める小鮎かな      千惠子
        放たれてもんどりうって小鮎かな      正子
        鮎の子の遡らむとして光る          正子
        きらめける二寸の香魚放流す        かしこ
        百キロの近江の子鮎放ちけり        洋二
        鮎の子のつめたきひかりてのひらへ    慶信
        風光る川岸に人歩ませて          玖美子
        鮎放流迷はぬやうに石除く         ちあき
        しなやかに鮎の子ひかる弾みをり     慶信
        あをあをと鮎の解禁待つ川面        玖美子
   

    その後我らは桂川沿いを更に下って、桂川橋の袂ににある駐在所まで至り、ここから今日の昼食・句会場となる「秋山温泉」まで頼んであった送迎バスに乗り込んだのだった。

   途中の山道は、青葉若葉の中にまだ山ざくらなども咲き残っている所もあったりして、先ほどの水辺の景色から代わって山間の景色を暫く眺めながら向うのだった。   またこの真下には、丁度いま超伝導リニア中央新幹線の実験線トンネルが掘られている辺りの場所なので、途中の空き地にはその残土を管理している所など、最新の話題の対象を見ることも出来た。

         花満ちて武者幟立つ甲斐の国       かしこ
         隧道を抜け山里の桃さくら         玖美子
        木の芽山砂金探してゐるところ      洋二
        春の土盛りリニアを通したる         洋
        四方に山ありて四方よりさへづれる    玖美子
        残花なほ川の流れに歩を合はせ     千惠子


    「秋山温泉」は相模川支流の秋山川沿いにあったが、到着し部屋に入るやいなや好みのものは例によって先ずはビールで乾杯。   
    そして、土筆などの山菜や山女のから揚げなどの山の料理に舌鼓を打ったのち、句会をスタートすることが出来た。

 
    句会をいつもよりは多少早めに切り上げたので何名かはそのまま早めに辞去した者もいたものの、折角の天然温泉ゆえ僕を含めた残りの者はいつもの句会とは異なり、温泉に入ったりしてその後の時間もゆっくり過ごすのだった。

    たまたま僕は山ざくらの花びらが舞い落ちてくる露天ぶろに一人で浸かっていたら、同じくらいの年格好の方が入ってこられ、話すうちに(お名前は伺えなかったが)この付近の方らしく、以前は俳句もやっていたけれど最近はもっぱら短歌をやっておられる、という。    いっとき先ほどの「依水荘」の話だとか『武蔵野探勝』の虚子や素十、更には晶子などの話などをしながら、ついつい僕は長湯をしてしまったりした。
    全裸の付き合いで見ず知らずの方とこんな話が出来たなんて、これもまた今回たまたまの僕一人だけの出会いでもあった。

                                                第二十三回、   完
# by Tanshotadoru | 2014-04-29 22:04


「武蔵野探勝」を辿る吟行会


by Tanshotadoru

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