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第二十八回 「多摩の横山」 (虚子編第二回)の巻

                                   ***平成26年9月17日(水)***


    「武蔵野探勝」(多摩の横山)の附記として虚子は次のように記している。

   「多摩の横山といふ名はまことに府中あたりから見た時の感じをいったものであらう。 帯の如き丘が多摩の流れに沿うて、南北四五里にわたってのびて居る。 京の東山は柔かい線を紫の空に描き出してゐるので有名だが、これはどこ迄もなだらかな単調な線を武蔵野の西に横たへてゐる。 多摩の横山と万葉の歌人が此の丘を呼んだ心持も受け取れる。
   電車が縦横について交通が便利になったから、一日、半日の閑を此横山探勝に費すことが出来る。 多摩の横山といふのは稍遠く離れて眺めた時の感じでもあり、亦趣は其方が勝ってゐるかとも思はれるが、実際其地に臨んで丘に上り、丘を下り、丘を縦走するのも興味深いことである。」  (虚子)


   虚子も記しているように、天平の昔に徴発されて府中から遠く九州方面へ向かった防人たちの行く手に先ずはだかっていた丘陵が多摩の横山だった、と云われている。

       赤駒を山野(やまの)に放(はか)し捕りかにて
                         多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ (万葉集)

    この「多摩の横山」が現在のどの丘陵を指すのかは必ずしも同定されてはおらないようであるが、却ってその方が現代人のロマンを掻き立ててくれるように思える。

            仲秋や多摩の横山てふ良き名     玲子


    今日は既に仲秋というべき九月十七日(水)、朝夕は大分涼しくなってきている。 雲は多少多いが、所どころ青空も見え時々は薄日も差し込んでくるような爽やかな朝である。  出掛けの家の裏山から今日もひよどりの甲高い鳴き声が聞こえてくる。

    途中モノレールから望む遠山は少し霞んでいるようだったが、我らの集合地は虚子らと同じに京王電車の百草園駅に10時。

   『・・・探勝』の彼らは直ぐにかなり急峻な道を秋晴れの百草園方面へと登って行ったようだが、我らは駅前の川崎街道を渡り「多摩の横山」と思しき小高い丘を背にした真照寺にまず寄ってみる。
  
    入り口近くの石には、多摩八十八ケ所霊場第十七番札所・武相三十三観音第八番霊場だとの案内が記されている。
第二十八回 「多摩の横山」 (虚子編第二回)の巻_e0292078_21335142.jpg


   真言宗智山派の立派なお寺で、境内のもみじも少し色づき始めているようで、左手にはなるほど弘法大師像も建っている。 その奥の裏山の竹藪も風を少し受けているようにやや揺れても見える。
   山門右手方向は、小さな園舎と小さな運動場の幼稚園が併設されているらしく、黄色帽子を被った二十名くらいの園児らが運動場に出て遊戯か何か始めようとしているところが、色づき始めた柿の実の間から直ぐ近くに覗けて見える。  お行儀の良さそうな園児らの声と裏山の風音以外は静かなこの境内にて暫く吟行を続ける。

      多摩の水紺青にして秋晴るゝ   虚子
   
            四方水澄む一遍忌も過ぎて    潔

   山門を出て再び街道に出てみると、この幼稚園の正面に当たるのか「秋の入園説明会」なる看板が掛っている。 夏休み過ぎの秋にも幼稚園には「入園」の機会があるとは、最近の事情をを知らない僕なんかにとって一寸不思議な感じもしつつその前を通り過ぎるのだった。

   正面の丘陵に登る道は少し駅の方に戻った大宮神社脇から続いているらしいので、街道からの小さな角を曲がって神社の階段下に出てみる。   狭い見上げる様な急な階段があって其処を登って神社に参拝してからでも百草園方面に行けそうな感じはしたけれど、全員この急階段を登ることを躊躇したようで、すぐ右側からこの神社を巻いていくような細いだらだら道を歩いて登っていくことにした。

   道は細く幾つかの住宅の間を通りまた階段状にもなっていて、一息では登れない。 所どころで休みながら登って行きやっとこの丘陵の雑木林の中の尾根と思われる所まで出ると、道は更に細く百草園方面に続いていく。  道が開けて通りに出た場所が百草園の入り口になっていた。 この通りが虚子らが登って来た道なのだろうか。第二十八回 「多摩の横山」 (虚子編第二回)の巻_e0292078_21363346.jpg

 登りたる多摩の横山秋晴るゝ    あふひ
 見上げたる金木犀の大樹かな    青邨
 秋山のはげし所に登りけり     普羅

  秋日もる声をたよりに笹の道    ちあき
  のぼり来て多摩の横山鳥渡る    銘子
  おしろいの真昼ひたすら種こぼす  玖美子
  けさ落ちし朴の一葉と思ひけり   玲子
  人住まぬ荒壁の家柿熟るる     洋二
  退屈な道にほろほろ葛の花     かしこ


    昭和五年九月三十日の『・・探勝』記録者は水原秋櫻子である。
    翌、昭和六年十月『「自然の真」と「文芸上の真」』を発表し虚子と『ホトトギス』から独立した秋櫻子の『武蔵野探勝』は、この第二回(「多摩の横山」の巻)が最初で最後の執筆として記録されている。

    秋櫻子によれば「百草園は、もと松蓮寺と称する寺であった。縁起はかなり古く、鎌倉時代には宏壮な伽藍も建ってゐたといふ。中途にして一度焼失し、徳川時代には大久保加賀守が、これを再建したが、現今では廃寺になって、個人の所有に属してゐるそうである。   門をくぐると、先ず木犀の強い香が鼻を打つ。」とある。
第二十八回 「多摩の横山」 (虚子編第二回)の巻_e0292078_21375359.jpg


    我らも道から急な斜面を見上げる所に立つ門の前に来てみると「本日休園日」の看板が・・・。   我らの定例吟行の開催日は水曜日が多いので時たまこんな事にも遭遇してしまう。 
    目的の百草園には入れなかった我らは、仕方なくその門前近くの金木犀の香りが漂ってくる小さな公園にてこの丘を登って来た息を整えることにした。 


    夕方になって百草園を後にした『・・探勝』の虚子らは、案内の小娘達と別れ稲田と桑畑の間の小道を高幡不動方面に下って行ったらしいので、我らも百草園隣に建つ百草八幡宮の脇道をそれらしい方面にほんのちょっと辿って八幡宮の裏山に出てみた。 裏山の雑木林の尽きる辺りからは高幡不動方面には住宅地が連なっていて、既に殆ど見通しが利かない景色となっている。

      小娘の道案内や秋の山      水竹居
      吾亦紅とあざみの多き山路かな  立子
      秋深き多摩の横山下りけり    まさを
      横山を下りれば秋蚕飼へる家   虚子

    ここからは八幡宮の本殿を通り再び百草園前まで戻ることにした。  八幡宮の階段の上の辺りに一本の月桂樹が植わっていて、説明板には「東京オリンピック記念植樹(1964年)」とある。 ちょうど1年前の9月に決まった2020年東京オリンピックはそれから56年振りの再びの開催となる。 皆その時まで元気でいてまた是非見てみたいものだ。

     我らは虚子らの道と反対方向の尾根道、七生(ななお)丘陵遊歩道を東に向って聖跡桜が丘方面に下っていくことにした。  再びの雑木林の道を抜け、ススキや猫じゃらしなどの秋草の生えた空き地の多い丘陵地の静かな宅地の中をだらだらと皆思い思いにゆく。第二十八回 「多摩の横山」 (虚子編第二回)の巻_e0292078_21385715.jpg

 眩しめば風のをはりを草の絮      千惠子
 しんがりをゆく木の実など落ちてくる  洋二
 花野ゆく遍路大師を先頭に       伸子
 栗いがの少しほぐれて栗のつや      洋
 三味の音や真葛原の奥に家       洋二
 縺れあふ地球の隅の水引草       玖美子
 ふみしめて横山の秋野路の秋      銘子


     途中には乳牛を飼っている酪農小屋などもあって、生れたばかりのジャージー種の子牛が道に面した柵から人懐っこそうな眼で通り過ぎる我らを見つめていたりして、田園風景の一つのように周りの景色に馴染んでいるみたいだ。第二十八回 「多摩の横山」 (虚子編第二回)の巻_e0292078_21395916.jpg

 あぶれ蚊のまたうるさくて子牛の目  ミツ子
 秋高し仔牛の頭撫でもして       玲子
 天高し人近づけば仔牛寄り        洋
 巡り来る忌日の速さ曼珠沙華      洋二
 山腹の八本の白曼珠沙華         潔
 きちきちのいずこより来たる旅鞄    伸子
 笹深き道踏めば秋湿りして       千惠子

  
    我らはその儘尾根道を下っていく予定だったが、角の看板に「ジェラートの店」とあり、矢印が直ぐ下の川崎街道に降りる道方面を指示しているので皆そちら方面に下っていくことにした。   やや急な道を下っていくと直ぐに街道にでて、その向い側にそれと思しき構え(緑屋根の赤いファーマー風)の洒落た名前の「アルテジャーノ・ジェラテリア」が直ぐに目についた。
    余り大きくはないが落着いた店内にて、多少疲れの出てきたらしい我らそれぞれ好みのジェラートで暫く休息をすることにした。


    今日の句会場はここからバスで5分ほど、聖跡桜が丘駅近くの「関戸公民館・学習室」。 バス停近くには今が盛りの曼珠沙華がそこここに咲いている。  丁度昼食の時間に到着した我らは、おおかた公民館のロビーで弁当などを広げたり、近くのレストランに入ったりしてそれぞれ推敲を重ね続けるのだった。
  
                                                 第二十八回、   完
# by Tanshotadoru | 2014-09-30 21:24

第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)

***平成26年8月20日(水)***

  ここ数日やや曇りの日が続いていたけれど、今朝はまた晴れてきて太陽のギラギラが猛暑の復活を予告しているようだ。  暦の上では秋なので残暑というべきであろうが。   裏山ではまたみんみんが少し騒がしくなってきている。   ただこの上天気は(全国的に延びているらしい前線の影響が出ていない)関東地方だけのようで、他の殆どの地域では集中的な雨に見舞われている所が結構多いらしい。

今朝のニュースによれば、広島市では昨夜の集中豪雨でかなり大きな土砂崩れが発生して多くの方が犠牲になったらしい。 花崗岩が風化して出来たと云うこの地方に多い真砂土と云う砂のような土壌が、土砂崩れを起こし易くなっているのだそうだ。


    今回は『・・探勝』昭和十一年八月二日の「曖依村荘」の巻を辿り、北区王子駅近くの飛鳥山公園隣の旧渋沢庭園界隈を目指すことにした。  「曖依村荘(あいいそんそう)」とは渋沢栄一の飛鳥山邸を自らこう名付けていたらしいが、その謂れなどは良くは判らない。 そしてその名も今では殆ど聞かれることも無くなっているようだ。


    我らは地下鉄南北線・西ケ原駅二番出口付近に集合、本郷通りを直ぐの「西ケ原一里塚」へ向かう。  虚子らの頃はこの通りを市電が走っていて、この近くの「一里塚停留所」で降りて「曖依村荘」即ち旧渋沢子爵邸に向った、とある。   この時の「・・探勝会」は、その年2月からの章子を伴ったヨーロッパ外遊(当時の俳壇未曾有の事件であったらしいが)から帰国した虚子を半年振りに迎えて「正規の武蔵野探勝会」復活の第一回目であったのだそうだ(大橋越央子記)。  

    「西ケ原一里塚」は日本橋から日光まで続く「日光御成道」の二里目の一里塚で、大正年間に市電敷設に伴う道路改修で撤去されそうになったものを、近くに住まう渋沢栄一らの反対運動で保存に成功、国史跡に指定された、との事。第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)_e0292078_1043239.jpg第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)_e0292078_1045757.jpg


この辺りの道路だけがやや幅広に膨らんでいて、王子方面に向い右側の一里塚跡が榎大樹の前に説明板と共に在るが、一方左側の一里塚跡は中央分離帯として残っている。  中央分離帯へは横断歩道も無いので、車の往来を確かめつつ渡ってみるが、ここにも大きな榎やその奥に何本かの樹木が植わっている。 両側に榎が植わっていたのでこの一里塚を「二本榎」と呼んでいたのだそうだ。

       街道や二本榎の実を結び     千惠子
       赤き実の榎の木蔭一里塚     信子

    種物屋ありしと覚ゆ一里塚    椎花

「西ケ原一里塚」を抜け、暫く行った右手の緩い坂を登った所が「旧渋沢庭園」として保存されている辺りだ。 飛鳥山公園の東南の一角に当たる。 


     小さな入り口から中に入るとすぐ左手に立派な白亜の洋館「青淵文庫」が初秋の日差しを受けて建っている。  『・・探勝』当時は大邸宅の大きな門構の大標柱に「曖依村荘」と表札が打ってあったと云うことだが、昭和20年の東京空襲時に「茶室」、「日本館」その他多くの建物と共に焼失してしまい今はその面影はない。  僅かにその「青淵文庫」は「晩香廬」と共に焼失を免れ今に建築当時の面影を残しているが、大正末期に渋沢栄一が男爵から子爵に陞爵した時のお祝いとして贈られたものなんだそうだ。
第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)_e0292078_2218987.jpg

 
     今拭きし縁すがすがし夏館   虚子
     七賢の襖涼しき書院かな    杣男
     緑陰を出でて青淵文庫かな   東子房
     蝉時雨青淵文庫閉しあり    霞人

    六角堂跡地に秋の影ゆるる   ちあき
    曖依村荘八月の草の丈     正子
        

    我らはその「青淵文庫」や近くに建つ赤瓦の平屋洋館「晩香廬」の中を探訪したり、風の通らない雑木林に囲まれた芝生の庭園などを巡っては句作りに励むと共に、説明板やパンフレットなどを頼りに暫し渋沢栄一の人となりなども改めて知ることも出来たようだった。第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)_e0292078_22585855.jpg

緑陰やとまることなき烏蝶   水城

  虚子一行坐りし洋間秋日さし    ちあき
  初秋の風の奥なる晩香廬      千惠子
   晩香廬を出れば残暑のただなかに ミツ子第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)_e0292078_22522135.jpg


    小さい頃からその名だけは良く聞いてはいた渋沢栄一だけれど、今の日本の経済を担っている数々の(実に500社以上とか)企業の設立に関わったと共に、経済を発展させる為の理念として「利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に富を多数の全体で共有し社会に還元すべき、即ち正しい道理の富でなければその富は永続することはない」と説く「道徳経済合一説」を唱えた日本有数の実業家であったんだそうだ。   今更ながら知らなかったこんな経歴を知って僕は、ある時期私淑していた「“めざし”の経団連会長、土光敏夫」の「質素の哲学」なども重ね合わせてみるのだった。第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)_e0292078_22302944.jpg

    一代の栄華の名残りつくつくし  洋二
   明治大正昭和もはるか雲の峰  玖美子
   栄光の男の一生秋高し     ミツ子


この辺り一帯「飛鳥山公園」は、直ぐ下をJR京浜東北線やその直ぐ向うを走る新幹線が良く見える小高い丘になっていて、眼下が王子駅だ。   ここは江戸時代からの花見の名所として今でも有名であるが、何しろ僕にとって初めての地であるのでその時期の賑わいを知らないのは少々残念ではある。  またその線路沿いには昔からの製紙工場や印刷局などもあって、紙に関連した由緒のある町であるんだそうだ。

   土蜘の袋の多し庭の石      虚子
   蜘蛛の囲の遮る路は還るべし  風生
    虚子歩みとどまるところ風は秋 高浪

    飛鳥山ただ秋の蝉聴くばかり   信子
    崖下は線路へ続く黒揚羽      かしこ
   何某の古墳を」包む蝉時雨      正子
   新涼の風と列車の過ぎる音     洋二


南北に長い公園を縦断するように北へ向かって歩いて行くと、中ほどに囲いに囲まれた石碑のようなものが見えたのでちょっと寄ってみる。  飛鳥山の由来だとか徳川吉宗が桜などの樹をここに植えたとかの説明書きが読めるが、彫られている漢文調の碑文は江戸時代から庶民には読めない事で有名になった「飛鳥山の碑」なんだそうで、碑文自体が読めなかったことに別に後ろめたさを感じる必要はなかった。 (大体、碑文というのは何んと書いてあるか判らないのが多いけれど)
       この花を折るなだらうと石碑みる  (江戸川柳)

              爺さんの多い公園秋暑し        洋
               藤は実となりつつ花のまた咲きぬ  千惠子
              蝉の音の少し狂へる日差しかな    洋二
               生れきてただみんみんと鳴きつのる 正子
              宇宙より降るやうな蝉時雨かな    玖美子


   近くの噴水では水遊びをしている子供たちの楽しそうな声が聞こえてくるけれど、その声も夏休みもそろそろ終わりに近づいてきている事を感じさせるようだ。

     水鉄砲合戦みんな女の子      玖美子
      濡るるものもう無くなりぬ水遊び   正子
     吉宗の植ゑし樹々あり秋の蝉     洋

   さて公園の北の端まで辿り着くとこの辺りの標高は二十五・4米だそうで、様々なビルが建つ王子の街が直ぐ間近かに見渡せる。

  ここからは、この山にS字状に沿って「アスカルゴ」と名付けられた小さなモノレールが昇り降りしており、僅か数分の間であったけれど「無料」ということでもあり、明治通りの歩道まで有難く降ろさせて貰った。


 
       灼くる地へゆつくり下るモノレール    正子
       晩夏光おもちやのやうなモノレール  ミツ子
第二十七回「曖依村荘」の巻  (虚子編第七十二回)_e0292078_22324912.jpg


  今日の句会場はここから歩いて直ぐの「北とぴあ」会議室。 その前に昼食は眺望の素晴らしいこのビル17階にあるレストラン「山海亭」にて、各自好みに応じて「蕎麦」などを。 特に残暑の中の吟行後のビールはまた格別であった。

     
       東京や見ゆる限りのただ灼けて     正子


                   第二十七回、   完
# by Tanshotadoru | 2014-08-31 21:57


「武蔵野探勝」を辿る吟行会


by Tanshotadoru

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